「そーちゃん?寝ちゃったの?」 
姉の声が聞こえた。 
眠ってしまっていたわけではなかったが、総悟は目を開けなかった。 
疲れていたせいでもあるし、眠たかったせいでもある。 
道場まで姉が迎えに来てくれたのだとは頭で理解していたが、どうにも抗い難い気だるさに体を動かせなかった。 
「もう」 
呆れているような笑っているような姉のため息が聞こえて、総悟は心の中ですこし微笑んだ。 
姉の笑う様子が好きだったからだ。 
表情は見えなかったけれども、容易に想像ができる。 
これ以上姉を困らせるのは嫌だったから、起こされたら目を開けようと思っていた瞬間、耳に響いたのは近藤の声だった。 
「ミツバ殿、起こさないでやってください。今日の稽古もがんばっていたし」 
「近藤さん」 
「自分に任せてください」 
近藤が言うやいなや、総悟の体が宙に浮いた。 
総悟があ、と思う瞬間には彼は近藤の背中に背負われていた。 
「さ、帰りましょうヨツバ殿。送ります」 
「ありがとうございます」 

総悟は、起きるタイミングを失った。 
けれども、それを思う前に近藤の背中に吃驚した。 

総悟は、親の記憶が薄い。 
おんぶされた記憶が鮮明なのは、姉であるが、姉は姉で体が弱い。 
物心ついたころから、総悟は姉の負担を減らそうと子どもじみたわがままは言わぬようにと決めていた。 
だから、近藤の背中に吃驚した。 
どうして、こんなにも広いのだろう。 
どうして、こんなにも大きいのだろう。 
自分を背負ってもビクともしない。 
稽古のときにも思わなかったくせに、それだけの力がこの男にはあるのだと、当たり前のことに今更気付かされる。 

揺れる背中は心地よかった。 
瞼には赤い世界が広がっていて、夕陽が綺麗なのだろうと知れた。 
自分は寝た振りをしたままだから、その風景は見えない。 
すっかり目が冴えてしまった総悟は、好奇心にも負けて、バレないように、うっすらと目を開けてみた。 
今まで閉じていた分の光が一気に目に集まったように眩しくてならない。 
「んん・・・!」 
思わず声を漏らせば、近藤の隣を歩いていたミツバが総悟に視線を走らせた。 
「そーちゃん、起きたの?」 
「・・・おはようございます、姉上」 
「そーちゃん、寝ぼけているのね」 
ミツバが口許に手を添えてくすくすと笑う。 
「総悟、起きたか」 
「近藤さん・・・」 
総悟は上半身を起こすようにして、肩越しに振り返った近藤を見つめた。 
距離が近い。 
背中はやっぱり広かった。 
自分が手をついてもびくともせず、日頃の鍛錬のおかげなのかと思った。 
そして驚いたのは、いつもと遠い地面との距離。 
これが、高さなのかと感嘆さえした。 
この男は、毎日この高さで生活をしているのだ。 
たかが身長差が世界の差まで決めてしまっているかのような錯覚に陥ってしまう。 
それほどに総悟の世界は小さく、周りが大きかった。それほどまでに、近藤の背から見た世界は高くかった。 
「びっくりしたか、総悟」 
言葉を発しない総悟にびっくりしたのか、近藤が少し焦ったように問う。 
総悟は首をぶんぶんと横に振って、そうではないと精一杯伝えると、近藤の顔がくしゃりと笑んだ。 
「そうか、じゃあ今日は特別だ」 
破顔した近藤は一旦総悟を地面に降ろし、彼の両脇の下に手を差し込んでぐっと持ち上げた。 
そして、彼を両肩に跨らせた。肩車の姿勢だ。 
「しっかり掴まってろよ」 
そういって、近藤は自分の胸に下がる総悟の両足を支えてやり、総悟が自分の頭を抱くように掴まったのを確認してから歩き出した。 

さっきよりも高い視点。 
支えが少なく揺れは大きいが、見える世界も大きく違う。 
小さな自分とは全く違う世界が、広がっているのだ。 
「近藤さん、ごめんなさい」 
申し訳なく言う姉の頭が、遠くに見えた。 
「すげェ」 
「すごいか、総悟」 
「すげェ」 
総悟の位置からは近藤の表情は見えない。けれども、笑っている雰囲気はすぐにわかった。隣を歩くミツバも笑っている。 



交わした会話はどんなものだったのか、沖田総悟は覚えていない。 
覚えているのは、夕陽の色と姉の笑顔と近藤の背中だ。 

家族は姉だけだったが、近藤がいてくれた。 

あの時から、自分が見つめてきたのは近藤の背中だった。 
広く、大きな近藤の背中だった。 
 




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