睦月







財布の中身が寂しい(いつものことだけど)金曜日、江戸に雪が降った。
まるで綿毛のような可愛らしい雪は、その姿に似つかわしくないほどに猛威を振るい、江戸の交通網をめちゃくちゃにした。
節約のために今日の帰りを電車にするか、徒歩にするか悩んでいた身としては、“電車が止まったから歩いて帰る”と徒歩で帰るということを披露しても恥ずかしくない理由が出来上がったわけだ。
万事屋から新八の家までは電車の駅二つ分、けして歩けない距離ではない。
新八は万事屋を出て、首元に隙間が出来ないように厳重にマフラーを巻いて、道を歩いた。
足元の状況は、ひどく悪い。
昼間に降った雪が、溶けて水と化し、新たに降り積もった雪と合わさって、人々の足元を苛むのだ。
足を取られるだけではなく、歩くたびに水滴が跳ねて着物の裾を汚していく。
歩き始めたときこそ気をつけて歩いていたが、いくら気をつけたって跳ねるものは跳ねるのだと開き直った。往来の人々も、どこかやけっぱちに歩いているような気がする。
「はあっ・・・」
やりきれない気持ちで大仰にため息をつくと、白い吐息が大気の中にたゆたう。
気温の低さを見せ付けられたような気がして、益々ため息をつきたくなってくる。
また降るかもしれないから、と持ってきた傘を杖のように使いながら、新八は頭を上げた。
空はだんだんと暗くなってきている。朝から立ちこめていた雲は厚いまま、日が暮れていっているのだ。家路を辿る人々も多い。もしかしたら、新八と同じように電車が動かずに仕方なく徒歩で帰っている人たちなのかもしれない。
やはり、皆慣れない雪道で腰が引けながらの歩みだ。
新八もまた転ばないようにゆっくりと歩いていると、後ろから足音がした。その足音は迷いの無いようなしっかりとした音で新八に近づいてきた。
転ぶとか滑るとか、そんなことを一切怖がっていないような歩みだ。雪国の人だろうか、と思っているとその人物が新八を追い抜いた。その人は、見知った人物だった。
「山崎さん?」
「新八くん?」
声をかけたのは真選組監察山崎退だ。
二人は軽く挨拶を交わしてお互いに頭を垂れた。
「新八くんの家はここらへんなの?」
「いえ、途中です。今から帰るところで」
「電車止まってるもんね」
うんうんと何度か頷いて、山崎は笑った。
人懐っこそうな笑顔は、周囲の人を和ませるようなオーラを発しているような心地がする。
隊服とのギャップがあるからかもしれないが、新八は彼のそんなところに好感を抱いていた。もちろん、大変な上司を持った者同士の親近感も持っている。
「今からあっちの方向に行くんだ。新八くんの家もあっち?」
「はい」
「じゃあ、途中まで一緒に行かない?なんなら愚痴と一緒に」
山崎は肩をすくめて、笑った。
「はい」
二人並んで歩くと、やはり山崎の足運びが他の人と違うことに気付いた。まるでぬかるんだような道路を行く江戸の人間とはまったく違う所作。新八は、山崎がどこの出身なのかは知らない。もしかしたら雪国の出身なのかもしれないし、監察という仕事柄身についた所作かもしれないし、真選組という組織に属しているからかもしれない。
隊服は、暗色に覆われた道でも威圧的な存在感を発していた。
だからだろうか、さきほどから道行く人の目が新八に多く向けられているような気がするのは。
しかもどれもが好奇の目だ。
こういう時、真選組とは特殊なものなのだと思い知らされる。一般市民が真選組の隊員と並んで歩くというのは、人々の畏怖と恐怖と好奇を思い起こさせるのだろう。
新八には別にやましいことなど何一つない。人々の視線は気にしないようにしながら、山崎と二人で他愛もない上司の愚痴を言い合っていると、小さな雪がちらついて来た。
雪はだんだんと空での密度を増し、地上に舞い降りてくる。
道のあちらこちらで傘の花が咲き、二人もまた、手にしていた傘を差した。
「江戸に雪は珍しいね」
「そうですね。滅多に降りませんね」
「量こそ少ないけど交通が麻痺しちゃうからね、江戸で雪が降ると。これが田舎だと雪が多すぎて大変らしいよ。一階が埋もれて二階の窓から出入りするとか」
「それはすごいですね!」
新八は、スナックお登勢が雪で埋まり、万事屋から一歩出たら雪の地面というのを想像して、心底驚いた。
江戸では何十センチも積雪があるなんてことが稀なことで、新八が生まれてから江戸での積雪は数えるほどと言ってもいい。新八は大雪というものを経験したことが無いのだ。
「閉じ込められてしまうんだって。雪で戸が開かないんだ」
「窓を見たら一面雪なわけですよね!?」
「そういうことになるね。新八くんは雪は好き?」
新八のはしゃぎ具合を珍しく感じて、山崎は口許に微笑を刻み込んで訊ねた。
山崎の小さな変化にさすがの新八も自分が興奮しすぎたと悟り、小さな咳払いをした。
自分を落ち着かせるかのように、雪の降る目の前の道を眺めて、静かに口を開いた。
「そういうのは勘弁ですけど、雪が降ってる様子を部屋の中から見るのは好きです」
部屋にはコタツを、コタツの上にはみかんを。
小さなコタツの中に足を入れているのは自分と、姉と、父だ。
特に何をするでもなく集まって、障子の格子窓の先の雪を見つめている。
寒いからとみんなで一緒の部屋で温まっているだけなのに、とても嬉しい気持ちになった。
それは、新八の中に残る情景のひとつ。
ひどくおぼろげで遠い。確かにあったことなのだけれども、あまりにその記憶は古びていて、もしかしたら自分が捏造した記憶ではないかと疑いたくなるほどに、願いと想いが詰まっている。
「雪に閉ざされたって言葉どおりだと怖いような気もしますけど。逆に中での結束が深まるような気がして、嫌いじゃないんです」
言い終えて、白い息が漏れた。
ふっと山崎の左腕が動いた、と思った途端、新八の視界いっぱいに手の平が迫ってきた。
山崎の手の平だ。
彼の手は大きく、新八のメガネをすっぽりと覆い隠してしまう。新八の瞳は彼の手しか捉えられなくなる。ものすごい速いスピードで迫ってきたくせに、彼の手は眼鏡にも彼の顔にも触れていない。
不意のことに言葉もなく固まっていると、少しずつ山崎の手の平が横にずれた。端から雪の白が飛び込んでくる。
「そんなこと言ってると」
いつの間にか、雪がひどく降ってきていた。
視界不良で、1メートル先の風景さえ把握できないほどだ。
だんだんと山崎の手が流れるように、新八の目から横へと離れていく。
山崎の手からだんだんと解放されて、新八の瞳には吹雪が飛び込んでくる。
「閉じ込めてしまうよ?」
手が、離れていった。
彼の人の口唇が、三日月のように弧を描いていた。
眩しいくらいの銀の世界でそれだけが、ひどく鮮明に赤く色づいて見えた。
「なーんてね、じゃあ俺はこっちだから」
いつもの山崎の声が聞こえて、足音が遠ざかっていく。
新八はしばらくその場を動けないでいた。
雪は降り積もる。
まるで雪は、新八を閉じ込めてしまう檻のよう。
新八を檻に閉じ込めるかのように、雪が降り続いていく。

















ほんのちょっと黒を覗かせた退さん。