春
かすかに風から暖かさが感じられるようになった、3月。
期末試験も終わりを向かえ、あと数日学校に通えば春休みと生徒たちは浮き足立ち始めていた。
登校時の喧騒の中、周囲をやや冷めた目で見ながら、雲雀は一人で歩いていた。
「はひー!!ツナさん、聞いてくださいー!!」
不意に、曲がり角を曲がる前に聞こえてきた声に雲雀は足を止めていた。
女の声は聞き覚えのあるそれで、“ツナ”という名前も見知った人物の名だ。
「ハル!?学校は!?」
「今日は試験休みなんですー!ツナさん、聞いてくださいー!ハル、大変なことをしちゃったんですー!!」
「ちょ、ハル!?一体どうしたんだよ?」
「ハルは、大罪を犯してしまったのですー!!!」
その角を曲がらずとも、会話を聞いただけで彼らがどのようなスキンシップをとっているか想像するのは容易なこと。
つまらない馴れ合いに過ぎないだろう―――
視界に入れるのも避けたいような光景が繰り広げられているに違いないのだ。
そのような、自分に価値のないものを視界に入れるのは不愉快だ。
雲雀は角を曲がることをせず、彼らの声が遠ざかって、初めてその角を曲がった。
「一体どうしたって言うんだよ、ハル」
「ハル、大変なことをしてしまったんです、大罪です、重罪です〜!!」
とりあえず屋上に駆け込んで、ハルを座り込ませたツナは優しくハルに問いかけた。しかし、ハルはよほど興奮しているのか、首をぶんぶん横に振って一向に落ち着く気配が無い。
「どうしたって言うんだよ〜」
「落ち着け、ハル。ゆっくり話してみろ」
リボーンが言うと、ハルはようやく首を振るのを止めて、がっくりと肩を落とした。
「ハル・・・泥棒をしてしまったんですー!!!」
「ええ!!??」
雲雀が学校についたときには、もうツナとハルの姿は無かった。
すでに学校内に入ったのか、または学校に寄らずにどこかへ行ってしまったのかもしれない。
二人の姿が見えないことは喜ばしいことだ、と雲雀は短く息さえもついたが、しかし心中穏やかではいられなかった。
気分がすこぶる悪い。
授業を受ける気分にもなれず、雲雀はまっすぐ応接室へと向かった。
廊下の窓から臨む風景は、春の訪れを予感させるような柔らかな色を発しており、雲雀はますます機嫌を損ねるのであった。
「ハル、花泥棒をしてしまったのです・・・。梅の花を、ポキって・・・」
ハルは、肩を震わせながらも梅の花の枝を折るようなジェスチャーをツナに披露し、両手で顔を覆ってうわ〜ん!と喚き始めた。
「だって、すごい綺麗だったんですー!お花でも人様のお家の木だってわかってたんです、でも、綺麗なお花が咲いてたんですー!!!」
訴えかけるハルの顔は、既に涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「枝を折って来ちゃったのー!?何で!?」
「・・・だって、ハル、あのお花を見せたい人がいたんです・・・!!」
肩を上下させながら、尚も泣き続けるハルの頬が赤く染まったのを見て、ツナはおや、と首を傾げた。
ハルの顔はすでに興奮と涙で真っ赤になっているのに、どうしてまたそんなに赤くなってしまうのだろう・・・?
雲雀は、応接室のドアを開けた。
そこは風紀委員の私室だ。すでに風紀委員たち、そして自分が過ごしやすいように改装が済んでいる。
そこに、見慣れないものを見つけた。
雑然と並ぶ学校の備品の中に、とても優雅な形をした一輪挿しがあった。
そこに生けてあるのは、梅の枝だ。
花咲いた、梅の枝。
「ハル、最初は全然そんなつもり無かったんです。
梅の花がきれいって、春になるんだなあって、そう思ってたらポキって・・・!」
ごめんなさいと何度も頭を下げられて、ツナはすっかり困ってしまった。
「・・・確かに、人の家の敷地の木の枝を折ったらいけないことだけど・・・。ハルはもうやらないだろ?」
「はいぃ・・・」
「それに、ハルはその人の為にやったんだろ?」
「はい!・・・見せてあげたい人がいるのです!・・・でも、いくら理由があるからって、悪いことしちゃったんです・・・」
ハルは、しゅんと肩を落として床に視線を落としてしまった。普段元気が有り余っているくらいに元気なハルだから、こんな風に落ち込んでいる姿を見ているとツナとしても、どうにかしてやりたいと思う。戸惑いながらもハルにかける言葉を考えていると、リボーンがハルの肩を安心させるようにぽんと叩いた。
「ハル、心配するな。花泥棒は罪にならないぞ」
「本当ですか!?」
「安心しろ、本当だ」
ツナは内心“いやいやいや、泥棒は泥棒だし!!”とツッコミたい気持ちでいっぱいだったが、見る間に明るくなっていくハルの表情に何も言えなくなる。
ハルは、目を赤く腫らしながらもいつもの大輪の花のような笑顔で、もう一度ツナ頭を垂れた。
「ツナさん、ごめんなさい!ハル謝っておきます!・・・ツナさんのおうちの梅の木、折っちゃいました!」
「え?うちから盗っていってたのー!?」
衝撃とはまさにこのこと、まさか自分の家から泥棒されたとは思わなかったツナは目も口も見開いて驚いたが、リボーンは何の反応も示さない。どうやら、ハルの行動を知っていて二人のやりとりを楽しんでいたに違いない。
「ほら、早く行け」
「はい!ありがとうございます!」
リボーンに背中を押されて、ハルは走り出していった。あっという間に屋上から背中が消えていってしまう。
「ハル、どこに行ったの?」
「さあな」
残されたツナがリボーンに問うたが、リボーンは軽く流してツナに背を向けた。屋上から見える風景の中に、冬の間にすっかり葉を落とした木々が見える。それはやがて、蕾をつけて花を咲かせる。桜、という名の花を。
馥郁たる梅の香り。
薄く紅さを帯びた花びらに、黄色が目立つ花粉。一本の枝に並ぶように咲き誇る梅は、まさに春の花だ。
春が来るとなれば、もうすぐあの花の季節ということだ。
ピンク色の花びらを持つ、あの木を思い出して、雲雀は苦々しさを覚える。
本当は思い出したくもないが、四季というのは必ず巡り巡ってくるもので、思い出さずにはいられないのだ。そのこともまた腹立たしく感じて、雲雀は忌々しげに窓の外を睨みつける。
不意に、どたどたと慌しい足音が響いてきた。体の中から溢れ出てくる力を、そのまま外に放出しているような、元気のかたまりがやってくる予感。
きっと、この梅をここに飾ったのは彼女だ。罪を犯したなどと騒いでいたが、大方この梅の木の枝を勝手に折ったことに罪悪感を苛まれたのだろう。
悩み事を相談し終えたのか、足音には先ほどのような弱々しさはない。一体どういう結論に至ったのかも解りかねる。
ただ、彼女が梅を選択した理由は簡単に知る事が出来た。
彼女は自分が、桜がダメなことを知っているからだ。
だから、梅。
単純な思考、すぐさまそれを行動にうつすところは彼女らしく、そして稚拙さを感じてしまう、が。
それは不快ではなかった。
きっと彼女は息を切らしてここに入ってくるだろう。梅をとってきたんですよ、と報告して感想を聞いてくるに違いない。
そう考えることも、また、不快であるとは思えなかった。
寧ろ、胸に生じる想いは、不思議とあたたかい。
キュっとリノリウムの床と靴が擦れる音が響いて、足音が止まった。
雲雀の予想通り、応接室のドアが開かれる。
「雲雀さん!梅はどうでしたか!?」
息を切らせながらも、満面の笑みを浮かべたハルが、そこに立っていた。