無視
新八は、レジに向かおうとする山崎の背を追った。
「あれ?もう買い物終わった?」
「はい」
問う山崎に頷いて、並んでレジに立つ。
並んだのが先で、且つ買い物の量が少ない山崎だが、新八の精算が終わるまで待っていてくれた。特に深い意味はないだろうが、その行為が新八には有り難かった。
先に行かれて、土方と雑踏の中に消えてしまわれるのは困るからだ。
持参した買い物カゴに商品を入れてもらって、山崎の他愛ない話に耳を傾けながら新八は出入り口に向かって歩く。
意識は、すでにスーパーの外にある。
土方十四郎に向かっている。
とうとう、会えるのだ。
会えたら何から問えばいいか考えていたはずなのに、いざとなったらそのシミュレーションの記憶すら取り出せなくなってしまう。
一歩進むたびに、苛々や戸惑いが消えてしゃぼん玉のように弾けていく。
それによって出来た空洞を埋めるように、心臓の音が積み重なっていく。
もう、隣を歩く山崎の声も耳に入らない。自分の血流の音だけがひどく耳を塞いでいた。
外は明るい日差しが注いでいるのが、出入り口前からでも確認できる。
太陽の光の下、自動ドアの踏み出したその先に、煙草を口に咥えた土方十四郎がいた。
彼は、少し驚いたようだった。
新八には、気のせいかもしれないけれども、彼がかすかに目を瞠ったように見えたのだ。
山崎が先に土方に走りよって行き、マヨネーズの入りの袋を献上し、新八くんとスーパーの中で会ったんですよと状況を説く。
新八も彼の後について、土方に近寄って小さく頭を下げた。
「こんにちは」
ちゃんとした声を出せただろうか、と新八は妙なことが気になった。たかが挨拶なのにと思うが、気にせずにはいられない。変な風に思われやしないかと、土方の目が気になってしまう。
しかし、彼からは何の反応の応えもなかった。
顔を上げた新八の前で、彼は何も言わずに背を向けたのだ。
「行くぞ」
小さく告いだのは、山崎への命令の言葉で新八への言葉ではない。
視線すら、こっちを向いていなかったのではないか。
土方のいつもと違う様子に山崎も気がついて、気遣わしげに新八へと視線を送ってくる。
それでも土方の歩みは止まらない。
どんどん人の波の中へと消えていこうとする。捜し求めていた黒い隊服が、雑踏へと紛れていく。
「土方さん!!」
思わず、新八は声を上げてしまっていた。
煙を見たときの苛々や、それからずっと土方十四郎のことを考えて戸惑っていた時の行き場のない感情が胸に溢れてきて、止まらなくなる。
「土方さん!!」
搾り出すように怒りの声音で呼べども、土方十四郎は振り返らない。
迷い無く進んでいく背中に、新八はきゅっと口唇を噛んだ。
悔しかった。
自分の声で、彼は振り返らない、止まらない。
この想いの行き場は彼しかないのに。
そう思ったら、叫んでいた。
人目も憚らず、往来だということも忘れて。
「逃げるんですか!?」
土方の肩がほんの少し、震えた。
声は届いているのだ。
しかし、歩みは止まらない。
「逃げるんですか!?土方さん!!」
声の限り叫ばないと声も届かないのではないかと思うほどに、彼が遠い。
新八はぐっと足の裏に力をこめた。
追ってやろうと思ったのだ。
自分は、今気付いた想いも伝えていない。もし、伝えることが出来たとしても、その想いが踏みにじられてもいい。
何より彼が自分のことを無視してさっさと行ってしまう様な行動をしたことが、新八には腹立たしくてならなかった。
一発殴ってやるくらいの勢いはあった。
しかし、新八は足を踏み出すことも出来なくなった。
土方十四郎が新八の方に振り向いてこっちを見たのだ。
鬼の副長と恐れられる彼の眼力は、16歳の少年を射竦めるには充分すぎるほどだった。
体がすくんで動けなくなった新八の元に、土方が靴音を鳴らして近づいてくる。
口に咥えていた煙草を道に落とし、自分の靴先で火を消して、やってくる。
新八は頭の中で“ポイ捨てだ”と冷静に判じたが、それに対してのリアクションも出来ず、彼が新八の正面に立つまで、震えることさえ出来なかった。
「逃げるな、だって?」
低いが、よく響く声が降ってくる。
土方の手が、荒々しく新八の顎を掴む。そのまま顔を上向かされて、新八はその手の大きさに今更ながら、彼が自分よりも遥かに強い力を持つ大人なのだと思うに至った。
そこから恐怖が生まれたけれども、顎を固定されているせいで身動きも出来ず、視線を逸らすことさえできない。
見下ろしてくる瞳は暗く、新八が今までまったく見たことのない色をしていた。
「お前が、俺に逃げるなって言うんなら、お前は逃げないんだな?」
土方の顔が近づいてきた。
今まで、こんなにもこの人と距離を詰めたことは無い。
新八にはこの行為が何を意味するかはわからなかったが、背中を駆け上る震えを恐怖と感じた。
渾身の力を振り絞って、身をよじる。
すると、すぐに土方による拘束が解けた。
即座に彼から離れるように2,3歩後退さると、彼の顔がはっきり見えた。
目を細めて、身に受けた傷の痛みに耐えているような痛切な表情。
自分が傷つけてしまったのだと、すぐにわかった。
「早く逃げろ」
苦笑するような声音で告げられ、歪んだ笑顔を向けられて、新八はぐっと足を踏ん張った。
ここで逃げれば一生この人には近づけないのだと瞬間的に感じ取って、新八の顔にまで歪みが生じた。
痛みを耐えているような表情をした土方に、哀しみを顔いっぱいにたたえた新八は、首を横に振った。
「逃げません!」
新八は、自分から離れていった距離を自分から縮めて行く。
自分が怯えてしまった、不思議な色をした瞳を、訴えかけるように見つめる。
一度は傷つけてしまったくせに何を言うのだと怒られようとも、許されないかもしれないけれども、逃げたくない。
これからも、この人に近づきたいから。
新八はすがるように手を伸ばし、隊服を掴んだ。
「僕は、逃げませんから!!だから、土方さんも逃げないでくださいっ・・・」