66.毛糸
空は灰色、今にも何かが落ちてきそうな具合だった。
冷たい雨か、真っ白な雪か。
最近は天気予報も投げやりで、“雨か雪が降るでしょう”なんて実に曖昧な予報を流す。
しかし、吹きすさぶ風の冷たさは、雪を運んでくるような予感がした。
屯所の庭に面した庭を歩いていた沖田総悟は肩を縮こませながら、足早に玄関に向かっていた。
「冗談じゃねえでさァ」
あまりの寒さに小さくごちて、くすんだ空を仰ぐ。髪を揺らす風の冷たさに目を細めた。
今日の市中見廻りは車。
こんな日に外になんて出られるか、と沖田は決意しながら、車の助手席へと乗り込む。
しかし、車内は寒かった。
運転を担当する隊士がまだ来ていなかったのだ。沖田は小さく舌打をし、恨めしげに車外へと視線を走らせると、一人の隊士が走ってくるのが見えた。
彼は“遅れてすいません”と叫びながら運転席に乗り込んできた。その首には明るい色のマフラーが巻かれている。
毛糸で出来たそれは、一目で既製品ではないことが知れた。
「おいおい、自分だけマフラーとはヒデェ話だ」
だらりと垂れたマフラーを引っ張ると、隊士の顔がでれっと緩んだ。
「すいません、隊長!」
からかわれているというのに、隊士の顔は緩みっぱなしで、引き締まるということが無い。
その表情が沖田を理由もなく苛立たせる。
「寄越しなせィ」
「ダメですよ!これは彼女の手編みなんですからっ!」
「・・・・・・へぇ・・・」
にこっと笑う隊士の顔は、幸せに満ちていて。
心の底から幸せそうな表情だ。
そんな表情を沖田は知らない。
どうしてあんなに屈託も無く笑えるのか、沖田には理解が出来ない。
きっと自分にはあのような表情は出来ないと既に悟っている。
それでいて、あの笑顔は沖田の中に小波を起こすのだ。
ひどく、緩やかだが大きく響くさざなみを。
外になどでてやるもんか、と決意していたはずの沖田だが、市中見廻りもそこそこに街を歩いていた。
冷えた大気に、両手をポケットに突っ込んでぶらぶらと歩く。
その手首にはビニール袋が提げられていた。
中身は毛糸だ。編み針も買った。編み物の本も買った。
男の、しかも真選組の隊士が、と店では奇異な目で見られたが沖田はそんなこと気にしやしない。
真選組の隊服を着ている時点で注目は浴びるのだ。それに加えて、剣の腕と容姿と幼さ故に昔から目立つ存在であった彼にとっては、他人の視線など気にならないのだ。
それよりも何よりも、あの隊士の幸せそうな笑顔が脳裏から離れなかった。
自分にはけして出来ぬ表情を浮かべる隊士と、それをもたらしたというマフラーと。
胸に湧き上がる感情が何という感情なのか、沖田は知らない。
ただ、うずく胸の動きに合わせて沖田はビニール袋を広げた。
手近で暖かそうな店先のベンチに腰かけて、毛糸の玉を手にとってみる。
どうやってこの一本の長い糸があの長さになるっていうのか、見当がつかなかった。
一緒に買ってみた本をペラペラと捲ってみても、摩訶不思議な世界が広がるばかりで、まるで魔法の本でも広げているようだった。
「何やってるんですか」
不意に、驚いたような、呆れたような声がした。
耳に飛び込んできたその声を、沖田が間違えるはずがない。
志村新八の声だ。
ゆっくりと本から顔を上げて、眼鏡の少年を見つめた。
彼は大きな目を丸くして、驚いているようだった。視線は自分の手元に向けられていて、自分の手にしているものに対して驚いているのだろうと合点がいった。
「・・・マフラー作りたいんでさァ」
「沖田さんが?」
胡散臭い、とばかりに発せられた声に笑いがこみ上げてきそうになる。
確かに、自分がマフラーなんぞ作るなんて柄ではない。それは解っている。それに、マフラーが欲しいわけではないのだ。
あの隊士の笑顔の理由を知りたい。
ただ、それだけ。しかし、それが難しい。
「大丈夫ですか?」
とてつもなく胡乱げな様子で問われた。新八の視線が沖田の頭部分を彷徨っているところからして、頭が大丈夫なのか?と訊いてきているらしい。
「何心配してるんでさァ」
「心配するに決まってるじゃないですか。だって沖田さんがマフラー?何のためにマフラー!?恋人にでもあげるんですか?ええ!?沖田さん恋人いるんですか?っていうかどうして沖田さんがマフラー?あげる立場じゃなくて貰える方でしょ!?」
今更ながら、新八の言葉の多さに混乱振りが伝わってきた。
「恋人はいねえなあ」
「じゃあ、何で」
眉宇を歪ませながら、新八は心底不思議そうな表情で首を傾げている。
なんで毛糸を買ったのは,
自分が知りたいくらいなのだが。
「・・・・・・なんでですかねィ」
「なんでって、マフラー作るんですよね?」
「そういうことですねィ」
「で、自分で編むんですか?」
「・・・・・・・・・」
「・・・なんで毛糸買ったんですか」
呆れたように新八は盛大に息を吐いた。沖田はそんな新八を見つめる。
あの隊士は、あのマフラーを彼女にもらったのだ。
それならば、自分も貰えばいいのではないか。
「新八が編んでくだせィ」
「はあ!?なんで僕がマフラー編まないといけないんですか!?」
ころころと変わる新八の表情を見ていると、楽しくなってくる。
新八にマフラーを贈ってもらえたら、自分もあのような満ちた表情になるのではないか。
「頼みまさァ。俺のためにマフラーを作って欲しいんだ」
「はぁ!?どうして僕が!?」
「隊士に彼女からのマフラーを自慢されちまったからじゃねえですかィ。それに対抗するには新八のマフラーしかないんでさァ」
「沖田さん、意味がさっぱりわからないんですけど!!」
「ちゃんとできたら俺と一緒に巻くんですぜィ」
「二人で巻くっ!?何だそれ!?その恥ずかしい所業は!?」
「そうしたら、俺もあの笑顔ができまさァ」
「はあああ!?」
胸を支配していたのは、あの隊士への憧れ、羨望。
羨ましかったのだ、あの笑顔を浮かべる事の出来る人間が。
そして、思った。
幸せそうな、あの表情が欲しいと。
マフラーという物が欲しいのではなく、心のこもった品を好きな相手からもらうことが出来たという事実が欲しい。
それが出来るのは、自分にとっては新八だけ。
沖田は買ってきた毛糸やら本やらをビニール袋に戻して、新八の手に握らせた。
混乱している新八の耳元に吐息を吹きかけるように囁きかける。
「あんたからのプレゼントが、欲しいんでさァ」
そしてあの笑顔を俺にください。