影
影が覆いかぶさってきて。
顔を上げたら、その人がいた。
「おはようございます」
「あー・・・悪かった」
後頭部をがしゅがしゅ掻きながら、バツが悪そうな表情を浮かべている。
いつもは紫煙と悪辣な言葉を吐き出すその口が、謝罪の言葉を紡ぐことに驚かされた。
いや、自分には甘い言葉もくれるのだけれども、今はそれとは違う感じで自分に言ってくれたことが嬉しい。
自分も、仕事で遅れて朝帰りになってしまった人に対して大人気なかったかなと省みたりしてみる。
頬を緩ませて笑ってみせた。
「おなか空いたでしょう?御飯にしましょう」
「ああ」
立ち上がって、台所に向かう。後ろで衣擦れの音がした。
隊服を脱いだのだろう。思っていたら、突然後ろから抱きしめられた。
驚く暇も与えられぬまま腰に手を回されて、頭の上に顎が乗せられた。ごん、という衝撃が真上から来る。
「ちょ・・・朝から何っを!?」
抱きしめるなんて序の口なくらい恥ずかしい行為を幾度も重ねたけれども、未だに触れられただけで頭に血が昇る。
顔に熱が集まっていくのが自分でわかった。
その人の腕の中から逃げられるなんて思わなかったけれど、せめてもの抵抗であがいてみせる。
その人はそんな抵抗など物ともしない。ふと、耳元に口唇を寄せられた。
「ただいま」
とてつもなく照れくさくなった。しょうがないな、この人は。
抵抗をやめて。
「おかえりなさい」
覆いかぶさってきた影に。
そっと目を閉じた。