煙
ヤカンを火にかけて、熱湯が沸くのを待つ。
沸くまで時間がかかるのはわかっていたけど台所を離れるのもなんだか億劫で、ガス台の前にぼうっと立っていた。
やがて、水温が上昇してきた。ヤカンとガス台から発せられた熱が周囲に伝わっていく。じんわりと体が温かくなっていって、確かな熱を感じる。
しゅん、しゅんと音を立てて吐き出された白い蒸気は、立ち上り空気に霧散して、やがて大気と一体化して見えなくなった。
どこかで見たことのあるような光景だと思った。
白い、空気に溶けて、散っていくもの。
そうだ、あれは
(・・・煙草の)
煙草の煙と、黒い服を着たあの人の背中。
「新八!!ヤカンヤカン!!お湯沸いてるよ!?」
突然振ってきた声に、新八はビクリと肩を震わせた。反射的にガス台の火を止めて、振り返る。ちょっと焦った表情の銀時がそこに立っていた。
「あ、銀さん」
まるで何事もなかったような応えと声音。
我ながらマヌケな声だと思ったが、それ以上の感情が生まれなかった。脳が麻痺してしまっているようだと自覚はあるのだが、それに対してツッコミも出てこない。
銀時が焦っているのが不思議なくらい、意識だけが世界の外に行ってしまっているようだ。
「新八?おいおい、どこに旅行行ってたの?」
「旅行なんて行ってませんよ」
「大丈夫かー?」
目の前で手をひらひらさせる銀時に新八は大丈夫ですっ!と強く宣言した。
実はそこでやっと意識が開けてきたとは言えない。
「お茶入れますけど、銀さんも要りますか?」
「んー?俺はいちご牛乳ね」
「そうだろうと思いました、ソファー行っててください。神楽ちゃんも呼んで」
「おー。神楽―!」
向けられた銀時の背に新八はほっとため息をつく。
何をぼうっとしているのかと少々情けない想いをしつつ、新八はお茶といちご牛乳を用意し始めた。
急須から立ち上る白い煙にも似た湯気に眉根を寄せる。
湯気を見て、煙草の煙を思い出すなんてどうかしてた。
煙草を吸う人に、鋭い言葉をかけられたからって。
「足の甲に刺した釘に蝋を垂らす。どうなるかわかるか?」
「蝋は釘を伝い、皮膚へと到達する」
「俺たちがやっていることは、そういうことだ」
それが、真選組の仕事であるとは山崎から説明は受けた。必死に副長のフォローをする山崎に“やだな、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ”と笑顔を作った。
もう子どもではないし、万事屋に来てから物事の裏の世界も見てきたし、何より自分だって人を傷つけたことがある。
大切な人を護るため、大切なものを護るために。
何も理由なしに人を痛めつけているわけではないのだ、真選組だって。
疑問に思うのは、土方がそれを自分にまるで突き放すかのように告げた理由。
釘と蝋燭の使い道をバカ正直に話しただけではないのは土方の口調からも明らかだ。
周囲が凍えてしまいそうな低い声音で突き放すように降って来た声音は、確かに新八に対して何かを突きつけているようで。
けれども、それが何かわからなくて。
「何だってんだ、まったく」
思わず口をついた言葉が怒りのそれ。
彼の深意がわからなくて、苛々する。そして、たったあれだけの言葉に振り回されてしまっている自分に、苛々する。
別に気にしなければいいのに。忘れてしまえばいいのに、どうして湯気なんかで彼の煙草を思い出すのだ。どうしてこんなにも彼のことばかり考えてしまうのだ。
自分の真意すら、わからない。
そのことがひたすら新八を苛々させた。